日本人が知らないバイオリニスト

好きなバイオリニストのことを書きます。内容はすべて主観です。

ディラーナ・ジェンソン

ディラーナ・ジェンソンは、「ヤッシャ・ハイフェッツ以来」と呼ばれる実績に比べて、日本ではあまりに知られていないと言うべきでしょう。

 

ショスタコーヴィチ:バイオリン協奏曲第1番/バーバー:バイオリン協奏曲

Dylana Jenson, Violin (Amazon)

Dylana Jenson (iTunes)

ディラーナ・ジェンソンのおすすめの一枚。鮮明なスタイルで気っ風のいい個性が現れていると思います。2008年収録。

経歴で説明しますが、使用楽器はグァルネリ風モデルでサミュエル・ジグムントヴィチが1995年に作ったものです。ストラドやグァルネリに比べると、音符の境界がカタカタ鳴っていて、たとえばアリーナ・ポゴストキーナがやるような細かく揺れ動く芸はほとんど不可能な楽器だな、と思わされます。むしろミーハーリスナーとしては「聞き慣れた楽器の音」とはっきり違うことに面食らいます。

しかし、ジェンソンの演奏スタイルはその楽器の特性を活かしている。と言うより、時系列としては、ジグムントヴィチがジェンソンのスタイルを引き立てられる楽器を作ったと言うべきでしょうか。曖昧なディミヌエンドも、弱音が細かいデュナーミクも、必然性のないポルタメントも一切使うことなく、すべてをくっきりはっきりさせる。そして音色には塵一つない。師匠のナタン・ミルシテインが乗り移ったような演奏だと思うのです。

参加アーティスト

曲目

  1. Shostakovich Violin Concerto No. 1 in A minor, Op. 99: I. Nocturne
  2. Shostakovich Violin Concerto No. 1 in A minor, Op. 99: II. Scherzo
  3. Shostakovich Violin Concerto No. 1 in A minor, Op. 99: III. Passacaglia
  4. Shostakovich Violin Concerto No. 1 in A minor, Op. 99: IV. Cadenza
  5. Shostakovich Violin Concerto No. 1 in A minor, Op. 99: V. Burlesque
  6. Barber Violin Concerto, Op. 14: I. Allegro
  7. Barber Violin Concerto, Op. 14: II. Andante
  8. Barber Violin Concerto, Op. 14: III. Presto in moto perpetuo

ディラーナ・ジェンソンとは?

例のごとく本家Wikipediaから。

ディラーナ・ジェンソンはアメリカのバイオリニスト、バイオリン指導者。1961年5月4日生まれ、ロサンゼルス出身。2016年現在は夫とともにミシガン州グランド・ラピッズ在住。夫は指揮者のデイヴィッド・ロッキントン。ディラーナの姉にアニメーション映画監督のヴィッキー・ジェンソンがいます。

上のタコとバーバーで指揮者は商品情報に記載がないのですが、2010年のインタビューによればロッキントンである模様です。

生い立ち

ディラーナは母の指導のもと、2歳10か月でバイオリンを始めました(ハイフェッツより早い!)。

以後、マヌエル・コンピンスキー、ナタン・ミルシテイン、ジョセフ・ギンゴルトに教わります。

ミルシテインはご存知のとおり、西欧系のレオポルト・アウアーと東欧系のピョートル・ストリャルスキーの両方から直接教わったという面白い出自の人ですね。ギンゴルトは胡乃元(フー・ナイユアン)の師匠でもあり、ウジェーヌ・イザイの弟子筋。コンピンスキーはちょっと調べると面倒そうで、日本語サイトでは「アウアーに教わった」という記述も見つけましたが、まあ英語サイトを信じておくとするとイザイの弟子です。

ディラーナ・ジェンソンは世間的には「ミルシテインの弟子」で通っているようなのですが、イザイの血も受けていると思うとちょっと面白くなります。確かにミルシテインよりさらに気難しく、どことなく土臭い感じは胡乃元とも似ているような…。

とはいえ、やっぱり「ミルシテインの弟子」という面は強いようです。インタビューによれば10歳か11歳のころイツァーク・パールマンに教えられて指の使い方を変えたあと、ミルシテインに教わることが叶ってみればなんとミルシテインの指使いはディラーナが昔やっていた方法だったため、ディラーナはパールマンの教えをさっさと捨てて昔の指使いに戻したとのことです。当て馬役のパールマンがいい仕事をしているエピソードです。

8歳でデビュー、17歳で記念碑的受賞

ディラーナは8歳でメンコンを弾いてデビューします。11歳でシンシナティ交響楽団とともにチャイコンを上演。

13歳までにはエイヴリー・フィッシャー・ホール(今のデイヴィッド・ゲフィン・ホール)でニューヨーク・フィルと共演したほか、Los Angeles Symphony とも共演…とWikipediaには書いてあるのですが、これがロサンゼルス・フィルハーモニーのことなのかどうかは未確認です。

続いてヨーロッパ、ラテンアメリカソ連でも演奏。1978年のチャイコフスキー国際コンクールでは、アメリカ出身の女性として現在に至るまで最高位の銀賞(この年は金賞をエルマー・オリヴェイライリヤ・グリュベールIlya Grubertの2人が取っているので、銀賞を「2位」と言うと違和感があります。銀賞もルーマニアのミハエラ・マルティンMihaela Martinと分け合っています)。なお、チャイコフスキーで優勝したアメリカ人は史上オリヴェイラただひとりで、ほかに銀賞を取ったユージン・フォドア、ジェニファー・コー、川久保賜紀と比べると当時17歳だったディラーナは受賞時最年少です(ジェニファー・コーは年齢不詳ですが、バイオリニストになる前に大学を卒業しているので17歳は越えていたものと思われます)。1978年はチャイコフスキー史上最もアメリカ人が勝った年になりました。

世界的プレイヤーとして

ディラーナは1980年12月9日にカーネギー・ホールにデビューします。曲目はシベリウスの協奏曲で、ユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア・オーケストラと共演でした。

1981年にはシベリウスサン=サーンスオーマンディフィラデルフィアとともに録音し、翌1982年のグラミー賞にノミネートされます。これがのちにエドワード・ダウンズが「ハイフェッツ以来右に出る者がない」とするほどの好評につながっていきます。

シベリウスの録音で、使用楽器は1743年製のグァルネリ・デル・ジュスでした。個人篤志家のリチャード・コルバーンから長期貸与されていたものです。ところが、ディラーナが結婚するつもりであることを伝えたとたん、コルバーンは「あなたはキャリアに責任を持っていませんね」というセクハラ発言とともに、直ちにグァルネリを返還することを求めました。コルバーン自身はのちに9回結婚している人なのですが…。

グァルネリを失ったディラーナですが、すでに名声は確立しています。助けの手を差し伸べたのがヨーヨー・マ。1995年、マはディラーナをサミュエル・ジグムントヴィチに紹介します。ジグムントヴィチは、ストラディバリウスやグァルネリの音色に似せたバイオリン制作で有名な人。WikipediaのDylana Jensonのページには、アイザック・スターンジョシュア・ベルのバイオリンを作ったことを書いてありますが、日本人的にはエマーソン弦楽四重奏団の4人がみんなジグムントヴィチを使っていることのほうが知られているようです。今も現役で、55,000ドル出すと2年で新作を作ってくれるらしいですよ。そのジグムントヴィチが作ったのが、冒頭のタコの録音にも使われたグァルネリ・モデルというわけです。

2000年、ディラーナはグランド・ヴァリー州立大学の特別教授に就任します。しかし以後2014年までに退任している模様です。演奏家としても来日公演を含めて着々と活動を続けています。

ミルシテインが好きならディラーナ・ジェンソンは見逃せない

ディラーナ・ジェンソンの魅力は、一見無愛想ながらきわめて上品な演奏スタイルにあると思います。「貴公子」ミルシテインの思想はこういうふうに弟子に継がれたのかと思うと胸が熱くなります。高い音に飛ぶときに音程が怪しくなるのも師匠と同じ…というのはさすがに思い過ごしかとも思いますが、なにしろ「ミルシテインの弟子」だと思って聞いているので、何もかもミルシテインに聞こえてしまいます。

ディラーナ・ジェンソンを勧めたい人は、何と言ってもナタン・ミルシテインが好きな人です。上品なバイオリン、楽器に頼らないバイオリン、ひたすらに美しい音色を聴かせるバイオリンに出会いたい人はぜひディラーナ・ジェンソンを聞いてみてください。